「韓国で大統領になったら死体になるか、監獄へ行くかだ」なんてことを聞いたことがあるかもしれません。
韓国に移住して肌で感じるようになったんですが、これが冗談のようで冗談じゃないんですよね…。
この映画は1979年に実際に起こった朴正煕(パク・チョンヒ)大統領暗殺事件について、その事件が起こるまでの40日間を描いた話です。
朴正煕(パク・チョンヒ)大統領といえば、朴槿恵(パク・クネ)前大統領の父であり、実は前大統領の母親も大統領暗殺未遂事件に巻き込まれて射殺されています。
そして朴槿恵(パク・クネ)前大統領自身も今は監獄(2021年に恩赦で釈放)、なんという数奇な運命…
もし今の大統領が朴槿恵(パク・クネ)前大統領と同じ保守政権だったら、この映画は存在していなかったでしょう。
それに未だに前大統領を支持するデモもあるので、その状況でこの映画を作ってしまうというのも映画さながらすごい…
『南山の部長たち』というタイトルには、これだけでも深い意味があります。
南山と言えば、「南山タワー(現:Nソウルタワー)」で有名ですが、
1961年にクーデターで政権をとった朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が「南山」に韓国中央情報部(KCIA)を設立した、そのKCIAを指しています。
KCIAの役割は簡単に言ってしまうと、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領に反対する者、デモや反対勢力を押さえ込み(黙らせ)、政権を維持させること。
通称「南山」と呼ばれたKCIAは国民から恐れられる存在でした。
韓国人なら「南山」にそういう場所があったことは知ってるよ
そのKCIAのトップが部長と呼ばれており、朴正煕(パク・チョンヒ)軍事政権の18年間を歴代の「南山の部長たち」が守ってきたわけです。
そして朴正煕(パク・チョンヒ)軍事政権を終わらせたのも「南山の部長」でした。
この記事ではこれから『KCIA 南山の部長たち』を見る方へ、正直な感想だけでなく、鑑賞ポイントと知っておくともっとおもしろい韓国情報をお伝えします!
韓国人じゃないと、タイトルからは想像できない内容だよね
- 第41回青龍映画賞(韓国で最も権威ある賞)で、最優秀作品賞を受賞
- この暗殺事件以上のネタバレはこの記事ではありません
『KCIA 南山の部長たち』あらすじと作品情報
公開 / 時間 / 年齢制限 | 2020 / 114分 / PG12 |
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原題 | 남산의 부장들(南山の部長たち) |
監督 | ウ・ミンホ |
出演 | イ・ビョンホン、イ・ソンミン、イ・ヒジュン、クァク・ドウォン、キム・ソジン |
あらすじ | 「閣下、私がどうするのを望まれますか」 1979年10月26日、中央情報部長キム・ギュピョン(イ・ビョンホン)が大韓民国の大統領を暗殺する。 この事件の40日前、アメリカでは前中央情報部長パク・ヨンガク(クァク・ドウォン)が、聴聞会を通じて全世界に政権の実体を告発し波乱を起こした。 彼を制止するために、中央情報部長キム・ギュピョン、警護室長クァク・サンチョン(イ・ヒジュン)が乗り出し、大統領の周辺には、忠誠を尽くす勢力と反対勢力が入り乱れていく… |
じゃあ、さっそく感想だよ
『KCIA 南山の部長たち』感想:ネタバレなし
何の前情報もなく映画を見た私にとっては、この事件がそんなに遠くない過去で、実際に起こった話だということにちょっと身震いしてしまいました。
それも「南山の部長」として大統領に忠誠を誓いながら、暗殺するに至るキム部長を演じたイ・ビョンホンの演技が真に迫っていて、彼が感情を押し殺し、緊張や怒りでワナワナしたり、小刻みに震える感情が私にもうつってしまったようです。
正直なところ、この映画には派手なアクションや刺激的な展開があるわけではありません。
革命を起こそうとクーデターを図り、一緒に戦ってきた仲間が敵になる、殺す立場が殺される立場になったり、忠誠心や権力争いのために綱渡りの心理戦があったり、ずっと糸がピンと張ったような静かな、でもだんだん大きくなっていく緊張感が続くんです。
大統領の側近中の側近であったキム部長がなぜ大統領を暗殺したのか。
その心理過程がよく描かれていて、特にクライマックスの張り詰めた緊張感にシビれました。
そう?知ってる内容だからそこまでじゃなかったけどな
えっー
韓国人のパンダ夫はみんな知ってる内容だし…と別にどうってない様子であっけらかんとしていましたが、よく知らない私にとってはすごくスリリングでした。
監督は『インサイダーズ/内部者たち』のウ・ミンホ監督。『インサイダーズ』はかなり衝撃的なシーンが多かったんですが、今度の『南山の部長たち』は淡々とした感じが逆にリアルでした。
ショットの撮り方や雰囲気から、見ているうちにノワール映画を見ているような錯覚に陥るんですが、最後に当時の現場写真やキム部長の最後の肉声が出て、これは実際に起こった出来事だったんだと茫然とするんです。
大統領暗殺によって独裁政治が終わりますが、これで終わりではなく、まだまだ民主化するまでに韓国近代史に多くの出来事が起こるんですよね。
それが言ってみればつい最近のことで、歴代の大統領の末路を考えても、またそれを乗り越え受け入れている韓国国民を考えても、韓国に住んでいる私が言うのも変ですが、なんというか韓国って怖い…と思ったのでした。
- 史実に基づく事件のいきさつを見てみたい人
- 名優たちによる感情の機微、ある時代の空気を深く感じたい人
- ノワール映画が好きな人
この事件について知っている人には、すでにネタバレしている状態ですが、それでも俳優たちの演技がすばらしく、わかっていながらもドキドキして充分楽しめたという評価も多々ありました。
事件や政治的なことを知らなくても、おもしろかったよ~
韓国での評価
観客数:475万人(公開後コロナの影響あり)
評価は10点満点で、8.47点と高評価。記者・評論家は6.9点とやや辛口。
好評 |
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不評 |
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保守派の人に不評なのは当然なのかも…
鑑賞ポイント3つ
政治ものなのに洗練されたノワール映画のよう
この映画は後述する原作本に基づいていますが、東亜日報の記者だった作者が新聞に連載していた記事が元になっています。
新聞記者の原作に基づき、忠実に事実を再現しながらも、なぜか政治ものなのにノワール映画のような雰囲気で、政治をよく知らない人でも”ある権力者の話”としても充分に楽しめます。
70年代のその時代の空気をまといながら、ノワールの雰囲気もあって、美術、ライティング、構図などもきっと「おっ!」と思う印象的なシーンが見つかるはず!
監督インタビューに基づく解説
>>『KCIA 南山の部長たち』ネタバレ解説:ノワールの魅力と切ないデカルコマニー
写真を見てもなんだかマフィア組織に見えてきちゃう…
イ・ビョンホンの演技力
これは本当に見てもらいたいです。役柄的に感情を表に出せない人物なんですが、その感情を押し殺している姿や、怒りで我を忘れてしまうところなど、本当に名演技でした。
今まで見てきたイ・ビョンホンはそれでもどんな時でもかっこいいイメージでしたが、歯をむき出しにして、こめかみが筋立っている姿に驚かされました。
全体的に派手な動きやセリフがそんなに多くないんですが、微妙な気持ちを演技だけ、とくに表情だけでも充分に見せてくれました。
すごい俳優だなあ
役を生きた俳優たち
イ・ビョンホンの演技だけでなく、この映画に出てくる俳優たちは演技派ばかり!
映画では実在した人物とは名前が少し変えられていますが、その人物とかなり似せているので、事件や歴史を知っている人はすぐにわかります。
朴正煕大統領を演じたイ・ソンミン
ドラマ『ミセン』や映画『工作 黒金星と呼ばれた男』などでよく知られているイ・ソンミンですが、私も最初は彼のようだけど違う人なのかなと疑ってしまうほど役になりきっていました。
朴正煕大統領のことはよくわかりませんが、バラエティ番組や他の作品で知っているイ・ソンミンとはまるで違い、動作や視線、声自体もまるで別人、本当に大統領のようでした。
警護室長を演じたイ・ヒジュン
彼にも驚かされました。イ・ヒジュンはドラマ『青い海の伝説』の印象が強かったんですが、かなり体格がよくなったなあと思ったら、実際の人物のイメージになるように25kgも体重を増やしたとのこと。
歩き方や言動もよく研究されていて、イ・ビョンホン演じる中央情報部部長と張り合う相手として充分な存在感でした。
元中央情報部部長を演じたクァク・ドウォン
多くの映画に出演しているクァク・ドウォンですが、映画『哭声/コクソン』や『アシュラ』でよく知られているんではないでしょうか。
彼も実在の人物がアメリカの聴聞会で話している姿とそっくりだそうです。
イ・ビョンホン演じる中央情報部部長の元同僚であり、友人として、イ・ビョンホンとは対照的にいろいろな感情を見せてくれます。
どの俳優も本当に味があってよかったよ
知っておくといい韓国情報
予備知識なしに見ても充分楽しめますが、知っていたらもっとおもしろい韓国情報です。
原作本
この映画は同名の「南山の部長たち(韓国名)」という単行本が原作で、現在韓国で販売されているのは改訂版、880ページにも及びます。
金忠植(キム・チュンシク)作家が東亜日報の記者だった頃、1990年8月から1992年10月までの26ヵ月、東亜日報で連載した記事が元になっているノンフィクションです。
しかも、作者本人も記者時代に特ダネを報じたことから、中央情報部(後の国家安全企画部)のある南山に連行、拷問されたことがあるとのこと…。
韓国記者賞をとったこともあるこの作家が書いたノンフィクションならかなり信憑性があります。
ただ、この原作と映画とには少し違いがあり、原作では10人の歴代の部長たちが登場していますが、映画では4代目の金炯旭(キム・ヒョンウク)と8代目の金載圭(キム・ジェギュ)を中心に描かれています。
また、この映画の冒頭でも、この原作の実際の事件を基にしているものの、一部設定は映画的な想像力も加味されていると明記されています。
日本では『実録KCIA-「南山と呼ばれた男たち」』というタイトルで1994年に翻訳本が出版されていましたが、現在は中古か、書店の棚にあるものを探すしかなさそうです。
この映画で重版されるといいね
同じ事件を描いた映画『ユゴ 大統領有故』
実は他にも朴正煕(パク・チョンヒ)大統領暗殺事件を描いた映画があります。
2005年に公開された『ユゴ 大統領有故』というタイトルで、ユゴというのは韓国語で”유고(有故)”、事故があることを意味します。
見て驚いたのは、韓国で本当に著名な俳優ばかり出演していること。
『シュリ』のハン・ソッキュ、『インサイダーズ/内部者たち』のペク・ユンシク、『悪いやつら』のキム・ウンスなどなど、とても豪華です。
こんな国の一大事件を映画にするのには慎重にならざるを得ないと思いますが、なんとブラックコメディが結構はいっていて、「えっ!こんなところで笑っちゃダメでしょ」ってところでちょっとおかしいんです。
映画冒頭に人物描写などはフィクションだと断りがあるものの、事件に基づいて作られており、特にこちらの映画は暗殺後の様子がしっかり描かれています。
最後には実際の朴正煕大統領の国葬の様子も流れていて、朴槿恵(パク・クネ)前大統領の姿も見ることができます。
公開当時はこの国葬部分が見られなかったり、すったもんだあったようですが、今は全て見られました。
それにしても、この事件に笑いをもってくるなんて、すごい懐が深いというか、なんとも尊敬の念を覚えてしまうのでした。
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この題材をブラックコメディにするなんてすごい!
朴正煕元大統領は日本軍の将校だった
1939年の教師失職後、師範学校時代の恩師である有川中佐の推薦を受け軍人になることを決意、日本国籍のまま1940年に満州国の首都新京の満州国陸軍軍官学校に合格者240人中15番目の成績で合格した。 満州軍官学校入校の翌1941年に創氏改名で高木正雄の日本名を名乗り、その後更に岡本実に名を改めている。(省略)
満州国軍軍官学校卒業後、日本の陸軍士官学校に留学、第57期生編入を経て、1944年に卒業した。(省略)1945年7月に満州国軍中尉に昇進、ソ連対日参戦により1945年8月9日にソ連軍が満州国に進攻した後、1945年8月15日の日本の降伏時は第八団の副官を務めていた。
出典:朴正煕 – ウィキペディア(Wikipedia)
朴正煕元大統領のこうした背景もあって、映画の中でも日本語のセリフが出てきます。
特に前章で紹介した『ユゴ 大統領有故』では重要なつぶやきなどを日本語で言ったり、けっこうセリフがあって、都はるみの「北の宿から」など日本の演歌まで歌われていました。
後に大統領になる全斗煥(チョン・ドファン)
朴正煕大統領の暗殺後、事件の捜査・指揮をし、その後すぐにクーデターにより実権を掌握。第11~12代の大統領となった人物も映画に登場します。
劇中での名前も似ているし、韓国人だったら髪型ですぐに全斗煥大統領だとわかるんだそう。
朴正煕暗殺事件が起きると、暗殺を実行した金載圭を逮捕・処刑するなど暗殺事件の捜査を指揮する。12月12日に戒厳司令官鄭昇和大将を逮捕し、実権を掌握(粛軍クーデター)。1980年5月17日に5・17非常戒厳令拡大措置を実施。クーデター後に金大中(軍法会議で死刑判決を受けて後に無期懲役に減刑されるものの、アメリカに出国)を含む野党側の政治家を逮捕また軟禁し、非常戒厳令を全国に拡大させ、これに反発していた光州での民主化要求デモを鎮圧するため陸軍の特殊部隊を送り、市民が多数虐殺された(光州事件)。
出典:全斗煥 – ウィキペディア(Wikipedia)
映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』で描かれた光州事件、映画『1987、ある闘いの真実』で描かれた学生運動家の拷問致死事件の時も、全斗煥大統領の軍事政権下でした。
軍事政権が終わったと思ったらまだまだ続くんだね…
韓国中央情報部(KCIA)跡地
映画中の主な舞台となるKCIAですが、その関連施設の跡地は現在でも残っています。しかもすぐに行ける場所に。
ソウルの観光地として有名な明洞(ミョンドン)から歩いて行ける場所にあり、今は総合防災センターやソウル支庁の別館、文化施設になったりしています。
中でも「中央情報部 本部跡」は現在「ソウルユースホステル」として運営されています。
私もこの映画を通して初めて知りましたが、まさかユースホステルになっているとは!
建物も古そうなので、おそらく中身は違くても当時の建物を利用しているっぽいですね。でも、部屋はシンプルで清潔そうだし、地理的にも便利な立地なので、興味のある方はぜひ利用してみてください。
ちょっと怖いような、でも行ってみたいような…
また、中央情報部の跡地に興味がある方は、「南山ダークツアーコース:人権の道」というコースがあります。
「人権の道」は、中央情報部6局跡(現ソウル市庁南山第2庁舎跡地)- 中央情報部事務棟(現ソウル消防災難本部)- 中央情報部南山本館(現ソウルユースホステル)- 中央情報部5局(現ソウル市庁南山別館)などを経る930m区間である。
この探訪コースは軍部独裁時代の恐怖の空間について再考し、再びこのようなことが繰り返されないように、歴史教育の場にしているコースだ。
出典:남산 다크 투어리즘 2(인권의 길)
こちらの韓国サイトでこのコースの現在の写真が見られますが、映画の中で出てきた建物の面影がある場所もありました…。
>>[남산] 다크 투어리즘 2(인권의 길) – 중앙정보부 6국터, 남산 본관터, 5국터, 공관 등..
捜査局に行く唯一の通路だったトンネルの先には、昔は大型の鉄の扉がついていたそう…怖い
最後に:予想以上に楽しめた『KCIA 南山の部長たち』
映画を見て、調べるうちに中央情報部跡地やら他の映画やら出てきて、かなりこの事件について詳しくなったような気がします笑
これも映画が予想以上によく、引き込まれたからです。
初めて映画を見たときの私がそうだったように、何の情報もなくても充分楽しめるので、興味のある方はぜひ見てみてくださいね!
映画を見た方は
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