今この記事を読んでいるあなたは、
きっとポン・ジュノ監督に笑わされ、ホラーのようなゾッとする衝撃も受け、見終わった後も映画の余韻が残っていることでしょう。
かくいう私もそうでした。
韓国公開時にすぐ見たんですが、私も映画が頭の中から離れずに、結局3回も見てしまいました。
そして韓国メディア、特に監督インタビューを参考に自分なりに考察をまとめました。
カンヌや日本の舞台挨拶でも、監督がネタバレしないようにお願いしているように、この映画は何も知らずに見るのが一番おもしろいです。
もしまだ映画を見ていない方は、ここで読むのをやめてネタバレなしの記事を読んでください。
>>『パラサイト 半地下の家族』ネタバレなし感想:衝撃の展開は誰も予想できない
その方が200%楽しめます。
- ネタバレ記事なので、まだ見ていない方はお控えください。
- 韓国語で鑑賞しているため、字幕と翻訳が違う可能性もあります。
じゃあ、さっそく本題突入!
水石
友人のエリート大学生ミニョクが突然くれた「水石」。
ちょくちょく出てくるこれは一体どんな意味があるんだろう?誰もが思ったんじゃないでしょうか。
ポン・ジュノ監督はライブトークで、この石について「AはBだと特定できない。いろんな側面がある。奇妙な装置をためらいなく書いた。」と言っているので、いろんな意味を同時に持っている多義的なメタファーだと思っていいでしょう。
続けて「一番わかりやすいアプローチはミニョク。ミニョクは冒頭に少し登場していなくなってしまうが、代わりに「水石」が残ることになる。
「しっかりしろ、しっかり」と立小便をしている人に檄を入れるシーンを見せられ、ギウもミニョクと同じようにまねる。ミニョクへの執着、変な強迫観念を手に取れる形で表現したくて作った装置が「水石」だ。」とのこと。
また、別のインタビューで「ミニョクは他の世界の人物のようでいて、ギウにとってとても重要な人物だ。それで、パク・ソジュン(ミニョク役)のように彼自体存在感のある人が必要だった。」とも。
この「水石」は金持ちの家にあるもので、ギテクの家には似合わない全く異質のもの。
それは違う世界から来た人がくれた違う世界、新しい世界ともいえ、プー太郎のギウにとってはエリート大学生のミニョクのようになりたいわけで、ミニョクの分身、ミニョク自体ともいえます。
ともかく、全てはミニョクがこの「水石」をくれたことから始まり、ミニョクの代わりにパク社長の家へ入り込んでいくことになります。
家族にはミニョクがギウに話したように「来年になったらダヘと付き合う」と話したり、あの大雨の中、長い階段を下りてきてギウが言ったのは「ミニョクだったらどうするだろう?」でした。
ミニョクが財物運、合格運があるという「水石」をくれた時、母親のチュンスクは「食べ物のほうがよかった」と言って目もくれなかったにもかかわらず、ギウがさっそくパク社長の家へ面接へ行く日、この石をしっかり磨いています(笑)
この「水石」は単純に運、幸運とも言えるし、ギウの夢や欲望とも言えるでしょう。あの大雨で水没してしまった家からギウが持って来たものは、他でもないこの「水石」だけでした。
ギテクが体育館でギウに聞きます。「なんで石をかかえてるんだ?」「こいつがずっと僕から離れないんだ」
ギウは体育館でギテクに「ごめんなさい。僕が全て責任をとります」といい、翌日の誕生日パーティーの日、この石を持って地下室へ向かいます。
でも、石を階段から落としてしまい、結局自分の持って来た石が仇となって頭を殴られ、家族全員で夢見た生活どころか、家族を守ることもできなくなってしまいました。
この「水石」は本来自然の中にあったもので、本質はただの石。それを人間が勝手に(ホントかどうかはわからないが人為的に)運や名前をつけて所有したものです。
「水石」がギウのところに来る前から、半地下の家には”안분지족(安分知足=知足安分)”という言葉がかけられていました。
映画でははっきりでてこないんですが、スチール写真でわかります。
ちそく-あんぶん【知足安分】
高望みをせず、自分の境遇に満足すること。▽「知足」は足ることを知る意。分ぶんをわきまえて欲をかかないこと。「安分」は自分の境遇・身分に満足すること。「足たるを知しり分ぶんに安やすんず」と訓読する。
出典:知足安分の解説 – 三省堂 新明解四字熟語辞典
最後、ギウは「水石」を自然の川の中に戻し、ギウも元々いた半地下に戻ることになります。
いろんな解釈ができておもしろいね~
インディアン・ダソンの絵・モールス信号
インディアンについては侵略される者の象徴として、わかりやすいのではないでしょうか。
パク社長の末っ子ダソンは”インディアンごっこ”に夢中で、最初の登場からインディアン姿でした。
母親のヨンギョは、落ち着きがないから集中力をつけるためにボーイスカウト(カブスカウト)に入れたと言っていますが、ある意味ダソンがモールス信号やボーイスカウトの技術を習ったりするのも、間接的に自分たちの家を守ろうとするメタファーのようにも思えます。
一見ダソンにとっては遊びに見えますが、ダヘがギウに「ダソンは芸術家コスプレのように”ふり”をしてる」と話したとおりだったら、ダソンは”インディアンごっこ”のふりをしていることになります。
思えばギウが正式に家庭教師に決まって家政婦に紹介された時、弓矢をはなって攻撃してきたのがダソンであり、唯一”ギテク家のにおい”「みんな同じにおいがする」と気づいた人物もダソンだからです。
それからダソンの描いた絵です。私もこれは2回目に見てようやくわかりました。
この絵はチンパンジーでもダソンの自画像でもなく、あの幽霊、地下に住んでいる男の絵だったんですね!
ギョロっとした目、皮膚の色、そして背景にいろんなヒントが描いてあります。太陽があって、下から上に上がってくる矢印まで。
まるで要注意人物として警告するように家に貼ってあるモンタージュ写真のようです。
韓国では家族写真を飾っている家も多いんですが、こうして同じ家に住む人のように家族写真と一緒に並べられているのも、今思うとぞっとしますね。
鳥肌たっちゃうよ~
また、こんな解釈もありました。
- 有名建築家(創造主)
- 地下室の夫婦(インディアン)
- パク社長一家(白人の征服者)
- ギテク一家(不法移民者)
誰よりも一番長く住んでいるのは地下シェルターの夫婦であり、パク家の奥さんヨジョンはやたら英語を使うし、テントもインディアンの弓矢もアメリカ製…しまいには家政婦も追い出されてしまいますよね。
これも一理あるなあと思いつつ、個人的にはインディアン=侵略される者は相対的にも変わるし、もっと言えば誰が主人なのかわからないっていうのがしっくりきます。
この家の名義で言えばもちろんパク社長が主人なんですが、アメリカという国の主人がもともと住んでいたインディアンなのか、移住してきたヨーロッパ人なのか、よくわからないように、この家の本当の主人もよくわかりません。
この映画は簡単に言ってしまえば「貧しい家族が裕福な家族へ寄生していく」話ですが、ポン・ジュノ監督はインタビューでこうも話しています。
『この映画では、お金持ちも“寄生虫”なんだ』ということ。つまり、お金持ちというのは、貧しい人々に“寄生”して労働力を吸い上げている。(自分たちでは)運転もできないし、ハウスキーピングもできないわけです。お金持ちは、貧しい人たちの労働に“寄生”している――そういう意味合いもある
出典:ポン・ジュノ「パラサイト 半地下の家族」に込めた“寄生”の真意
モールス信号は地下室で喘いでいる男が必死にSOSを伝える手段として使われますが、結果として誰にも届きませんでした。
唯一気づいたのがダソンで、庭のテントで解読しようとしていましたが、ちゃんと解読できたのかどうか…
下層の人たちが生存するための手段は、金持ちにとっては”遊び“でしかないともとらえることができますが、監督はインタビューで「ダソンの解読したものは英語と仏語の翻訳では”H-O-P-L-F (Help me)”となっていて、解読しようとしてやめてしまう一般的な子どもの姿だ」と話しています。
どちらにせよ、下層の人たちの必死なSOSは誰にも届いていない、どんなに近くにいても地下に住んでいるような人たちの切実な声、SOSに気づかない今の社会を考えさせられるようです。
家・階段・太陽の光
ポン・ジュノ監督の『スノーピアサー』では、走り続ける列車を舞台に水平の空間が意識されていますが、この『パラサイト 半地下の家族』では、カメラを上下に動かしたり、垂直の空間が意識されています。
階級の差、貧富の差が物理的に表現されていて、金持ちで資産家のパク社長の家は高台にあり、ギテク一家は高台よりも下の街、そのまた半地下に住んでいます(しかもトイレよりも下の位置)。
パク社長の家に行くには多くの階段を上がっていかなければ到達できません。
この映画は階段のシーンが多いんですが、パク社長は階段を上るシーンしかありません。
反面、大雨の日に命からがら逃げてきたギテク、ギウ、ギジョンは下へ下へと長い階段を下りていきます。それはまるで地の底へ行くような感じです。しかも上から下へと濁流が流れていき、高低差を強く感じるシーンです。
監督はそうした階級の差を太陽の光でも意識したと話しています。
ギウが面接に向かったパク社長の家は太陽の光が燦燦と降り注ぎ眩しく、大きな窓からは陽が入ってとても明るいです。
反面、ギテクの半地下の家は斜めに光が入ってくる薄暗い部屋。地下シェルターは光すら入りません。
パク社長の家の光もギテクの家の差し込む光も全て自然光で、時間を待って撮影したそうです。
雨
ポン・ジュノ監督は雨や水を使って、とてもうまく感情のうねりを出しています。
あの大雨の夜、強く降る雨、激しく流れていく濁流、水没していく家、そうしたカオスな情景が精神状態をもカオスにして、特にギテクの感情が吹き出したように見えます。
足元の激しい濁流を見つめるギウはやるせなさでしょうか。
雨はそうした感情だけでなく、階級の差、貧富の差も顕著にしました。
ギテクの家は大雨で水没し、体育館へ避難を余儀なくされた一方、パク社長の末っ子ダソンのおもちゃのテントは大雨にも耐え、濡れることなく朝までいることができたのです。
翌日はダソンの誕生日パーティーで、金持ちにとっては大雨のおかげでPM2.5もなくいい天気になったわね程度でした。
パーティー服を選ぶのも、パク家のクローゼットにあるたくさんの服から、体育館に山積みにされた支援の古着へと比較されてるね
性欲
大雨のために家に戻ってきたパク社長夫婦が、ソファーでラブシーンをする場面がありますが、なぜこれが必要だったのかと思う人もいるかもしれません。
このシーンの会話で、首にしたユン運転手の”パンティ”ないかとか、”薬”が欲しいとか、表面上はジェントルで上品なパク社長夫婦も軽蔑していたユン運転手と所詮同じだということがわかります。
また、地下シェルターにある”コンドー〇”をわざわざ見せるシーンがありますが、金持ちだろうが貧乏だろうが、みんな同じ性欲がある人間で、どんなところに住んでいようとも人間の営みがされているのを見せてくれます。
監督がライブトークで語ったところでは、このシーンではテーブルの下で聞いているギテクのショットがもっと重要だったと話しています。
聞いているギテクの心理や精神的な圧迫感に合わせて音楽も調整されているとのこと。
考えてみれば、子どもたちの前で自分の「臭い」について言われたり、夫婦の営みを聞くことになってしまった父ギテクはどんな心境でしょうか。
ここからギテクの笑顔が消え、クライマックスへ向かっていくことになります。
見ているこっちまで息がつまっちゃうよ
地下シェルターの本
地下シェルターにはいろんな物が置かれていて、本棚にはたくさんの分厚い本があり、法律などの難しい内容のものが多くありました。
(もしかしたら昔公務員試験などの準備をしていたのかもしれません)
貧しい暮らしをしていても博学なんです。しかも建築や音楽を楽しむ教養もあります。
ギテク一家も全員無職だったものの、それぞれ英語や美術、運転、家事など技術があり、パク社長の奥さんであるヨンギョに比べたらよっぽど有能かもしれません。
韓国の現社会でも若者の失業率などの問題がありますが、正直みんなスペックが高いんです。
わかりやすくTOEICの点数でいうと、日本の平均スコアは531点ですが、韓国は683点と150点以上も上です。
>>日本でTOEICを実施・運営するIIBCが発表した2020年(1月~12月)国別平均スコア
それだけのスペックがあっても就職できないのは、一部財閥系大企業に富が集中しているため、そこを目指す人も集中、
新卒でもTOEICでいえば満点の人がごろごろいて、理想とする就職先に行くためには900点以上じゃないと見劣りするような超ハイスペックな社会になってしまっているからです。
TOEICの平均スコアを見ても、ほとんどの人がそれなりにスペックが高いんですが、大企業に入れるかどうかで生活に雲泥の差がでてしまう今の韓国社会も垣間見ることができます。
安い仕事はスペックと見合わないので、いい職場が見つかるまでずっと試験勉強して就職しない若者も多いよ
デカルコマニー(合わせ絵・転写絵)
この映画のタイトルは韓国語で『기생충(寄生虫)』ですが、実は最初からこのタイトルだったわけではなく、仮題は『데칼코마니(デカルコマニー)』でした。
デカルコマニー(仏: Décalcomanie)は、紙と紙の間などに絵具を挟み、再び開いて偶発的な模様を得る技法
出典:デカルコマニー-Wikipedia
画用紙に絵の具を適当において、半分に折って開くと左右対称の模様ができた!って幼稚園や保育園でしたことがありませんか?
前述した「家、階段、太陽の光、雨」などは階級の差を対照的に見せてくれ、
「性欲、地下シェルターの本」などからは階級の差はあれど結局は同じだということを見せてくれています。
パク社長一家がキャンプで留守にしている間、ギテク一家はパク社長の家でまるで自分の家のように過ごしていました。
ギテクとチュンスク夫婦はそれぞれパク社長夫婦と同じようにソファで寝たり、息子のギウはダソンのように陽が燦燦と照りつける芝生の庭で過ごし、娘のギジョンはダヘのように2階で自分の時間を楽しんでいました。
パク社長家族 | ギテク家族 | |
---|---|---|
父 | パク社長:ソファ | ギテク:ソファ |
母 | ヨンギョ:ソファ | チュンスク:ソファ |
息子 | ダソン:庭の芝生 | ギウ:庭の芝生 |
娘 | ダヘ:2階の自分の部屋 | ギジョン:2階のお風呂 |
ギウがこんなことを言います。「この家が自分の家だったらどこで過ごす?」ギテク家族はパク家族がいない間、対称的に完全に入れ替わっています。
また、同じ日に地下シェルターの夫婦も同じソファに寝そべり、結果3家族の夫婦が同じソファにいたことになりますね。
地下シェルターの男にギテクは「おまえは計画もないだろう?」とやや軽蔑した感じで言い放ちますが、結局はギテクも無計画を選び、男に替わって地下シェルターで暮らすことになります。
映画のオープニングを覚えていますか?靴下が干された半地下の窓から見える景色、カメラが下に動いてギウが登場します。
実はエンディングも全く同じ構図です。まるでこの映画全体もデカルコマニーのようですね。
デカルコマニーはどんな絵にするかコントロールできません。映画で起きた事件のように全て偶発的なものです。
ロールシャッハ
実は仮題『데칼코마니(デカルコマニー)』の前、初期タイトルは『ロールシャッハ』だったそう。
この名前はスイスの精神医学者で、”ロールシャッハ・テスト”といえば聞いたことがあるかもしれません。
”ロールシャッハ・テスト”は”インクのしみ”(インク・ブロット)の形が引き起こす連想に基づいて人の心理状態を把握できるテストです。
もしかしたらジョーダン・ピール監督の映画『アス』を思い出した人もいるかもしれません。
ポン・ジュノ監督はまだ『アス』を見ていなかったそうですが、その予告編を見て、ロールシャッハのインクのイメージが使われていてとても興味深かったと、『寄生虫』の初期タイトルを明かすとともにインタビューに答えています。
アイデアに共通するところがあっても、韓国とアメリカ、それぞれの監督の表現があっておもしろいね
臭いと一線
「臭い」はこの映画でとても重要なモチーフとなっています。
ポン・ジュノ監督が言うように、「臭い」は親しい仲でもなかなか話題にすることができない内密で私的な部分であり、礼儀や尊厳にも関わるセンシティブなものです。
ギテク家族がどんなに外見をうまく偽っても「臭い」だけは変えられませんでした。
一方、パク社長から「一線を越える」というセリフが何度も出てきましたが、彼はギテク、使用人たちとの間に一線を引こうとしていました。
この映画では、互いの“臭い”を近距離で嗅ぐことができる状態になっています。パク社長のセリフに“度を越す”というものがあります。彼には『ここから先は入ってくれるな』という“ライン”がある。パク社長にとって、貧しい世界は『見たくないもの』『自分には関係のないもの』なんです。本作では(“ライン”を越えて)“臭い”が入ってきたことによって、悲劇がもたらされるんです
出典:ポン・ジュノ「パラサイト 半地下の家族」に込めた“寄生”の真意
ギテクはパク社長に「それでも奥様を愛していらっしゃるんでしょう?」と2回も尋ねる場面があります。
ギテクは人間なら誰でも持っている”愛”という感情で連帯感を感じたかったのかもしれませんが、パク社長の答えは歯切れの悪いもので距離をとっています。
パク社長は使用人の仕事に敬意を払いつつも、身分相応な振る舞い、一線を越えないことをのぞんでおり、
一方で「地下鉄に乗る人たちのような臭い」を侮辱することで人間の礼儀、尊厳の一線を越え、それを目の前であからさまに見たギテクも瞬間的に一線を越えてしまいました。
嗅覚は五感の中で直接的に本能と情動に働きかける感覚って聞くよね
ゴキブリ、カマドウマ
映画冒頭で、ギテクがテーブルの上にいた虫を跳ね飛ばします。
この虫は韓国語で곱등이となっていますが、日本語ではカマドウマ、別名:便所コオロギです。
ピザの箱を組み立てる内職をしている時、家にいるカマドウマも増えてるし、消毒できるからと窓を閉めずに消毒されるシーンがあります。
ふふふと笑える場面ですが、後から考えるとまるでこの家族も虫のように消毒を受け(そもそも虫のための消毒だし)、みんなむせ返っている中、ギテクだけが黙々と手を動かしています。
これもパク社長の家からみんな追い出されたけど、ギテクだけがしぶとく生き残る暗示みたいですね。
監督によると、ギテクが窓を開けとけと言った手前、ゴホゴホするわけにいかないので大丈夫なふりをしてたとのこと。
ピザ屋の社長が4つに1つは不良品だといったのはギテクので、その話が出るとギテクにカメラもフォーカスしています。
パク社長がキャンプで留守の日、母チュンスクはギテクに、社長が来たら「ゴキブリみたいに隠れるんじゃないの」と話していたことがまさにその通りになりました。
テーブルの下で息を殺し、隠れている姿、そして見つからないようにそっと逃げ出したり、一時停止したりする姿はまさに虫のようです。
思えば地下シェルターの男が久々に地上に上がる時も両手足を使って虫のように這い上がっています。
最後、ギテクがギウへ送ったメッセージには地下シェルターの生活について、「命をかけて食べ物を食べに上がらないといけない」と話しています。そのとおりの状況なんですが、よく考えるとまるで虫と同じですね。
ギテクが逃げる時に一時停止したり、地下シェルターの前の戸棚を力いっぱい開ける時とか、前の家政婦が足蹴りされた時など、緊迫した場面なのになぜかおかしいエッセンスがあって、笑っていいものか困ったよ
北朝鮮のギャク
地下シェルター夫婦がギテク一家の弱みを握り、録画したために形勢逆転、「動画を送るぞ~ボタンを押すぞ~」と脅す姿が、北朝鮮がミサイルボタンを押すぞ~と脅している昨今の政治状況とかぶっておもしろかったですね。
この夫婦が隠れていた地下シェルター自体が北朝鮮のおかげ?でできたスペースであり、
地下の男は「ずっとここに住まわせてくれ。なんだかここで生まれた気がするし、ここで結婚したような気もする」と、時々食べ物に困ったり自由はなくても、生活に満足しています。
しかも、パク社長を食べさせてくれる主人として「リスペクト!」し、忠誠を誓っているその様子がまさに北朝鮮、社会主義のシステムのようです。
それにしても北朝鮮のアナウンサーのまね、そっくり!
チャパグリ
”チャパグリ”とは韓国で超メジャーなインスタントラーメン、「짜파게티(チャパゲティ)」と「너구리(ノグリ)」を合わせて作る、言ってみればB級グルメです。
海外版の翻訳をした人によると、”チャパグリ”が一番苦労した単語だそうで、ラーメンとうどんを合わせた「ランドン(ram+dong)」になってるそうです。日本語翻訳はどうなっているんでしょう?
映画ではこの庶民的な”チャパグリ”に韓牛(日本でいう和牛)を入れて食べるシーンがあります。
監督はライブトークで、ダソンが一番好きだから作ったこの”チャパグリ”について「金持ちでも子どもの好きな味は同じで、でも奥様は子どもがそのまま食べるのを容認できなくて、そこに韓牛をミディアム・ウェルダンでのせてしまう構成だった」と話しています。
「짜파게티(チャパゲティ)」も「너구리(ノグリ)」も安くて簡単でおいしいインスタントラーメンなんですが、普通はこのまま食べるので牛肉、しかも韓牛を入れて食べるなんて聞いたこともありません。
ライブトークでインタビュアーである映画評論家が、この3つのものを合わせて作る”チャパグリ”が3家族を象徴するようだと話したところ、
監督は「それすごくいいね。明日からそれ…(使っていい?) ホントにそうだね。なんで気づかなかったんだ?」というやりとりがありました。後付でこのネタも上がってくるかもしれませんね。
”チャパグリ”けっこうおいしいよ!
金持ちとラザロ
聖書に「金持ちとラザロ」という話があります。
金持ちとラザロはイエス・キリストのたとえ話(ルカによる福音書16章19~31節)に登場する対照的な人物である。
16:19 ある金持がいた。彼は紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮していた。
出典:金持ちとラザロ-Wikipedia
20 ところが、ラザロという貧しい人が全身でき物でおおわれて、この金持の玄関の前にすわり、21 その食卓から落ちるもので飢えをしのごうと望んでいた。その上、犬がきて彼のでき物をなめていた。22 この貧しい人がついに死に、御使たちに連れられてアブラハムのふところに送られた。金持も死んで葬られた。23 そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。24 そこで声をあげて言った、『父、アブラハムよ、わたしをあわれんでください。ラザロをおつかわしになって、その指先を水でぬらし、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの火炎の中で苦しみもだえています』。25 アブラハムが言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。26 そればかりか、わたしたちとあなたがたとの間には大きな淵がおいてあって、こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし、そちらからわたしたちの方へ越えて来ることもできない』。
地下シェルターから誕生日パーティーに乱入した男はチュンスクともみ合いになり、BBQの大きな串に刺されて致命傷を負います。
その後、動かなくなった姿を写したシーンでは、男に刺さった串の肉をなめている犬もわざわざ写されています。
この描写が聖書の内容を意図したものかどうかはわかりませんが、クリスチャンが多く、日曜日やクリスマスに教会へ行く人も多い韓国では、映画とこの話の関連性を指摘する人がちらほらいました。
例えば、ナ・ホンジン監督の映画『哭声/コクソン』は冒頭から聖書が引用されているように、韓国だったら聖書のモチーフを使ってもおかしくない環境だし、この映画の設定にも合っていますね。
>>『哭声/コクソン』ネタバレ考察:監督が明かした真相と結末、聖書メタファーが深い!
計画と結末
この映画の冒頭から「計画」というキーワードが度々出てきて、最後までその結末を暗示する重要な言葉となっていました。
エンディングでギウがギテクに書いた手紙には、
「父さん、計画ができました。根本的な計画です。僕はお金を稼ぎます。」
ここから希望を感じた人もいれば、むなしさを感じた人もいるかもしれません。
ギテクがギウへ「計画を立てても、計画どおりにはいかない」と言ったように、今まで数多くの事業に失敗してきたギテクがたどり着いたのは、失敗することがない”無計画”でした。
多くの人は冷静に見てギウの計画が難しいこと、それこそ”無計画な計画”に感じたのではないでしょうか。
監督はライブトークで、「手紙の交流があるようで、伝わったのかわからない手紙。曖昧な希望をのせるのがむしろ無責任に感じられて、この悲しみに直面しようとした」と語っています。
監督はまた、「あ~押すから痛い。押さないで~と言っていたギジョンが生きて、石で酷く殴られたギウが死ぬように思えるが、人生には思いもよらないことが起きます。
ギジョンが死ななければならない必然性は全くありません。この家族が払わなければならない代価が最も悪い形ででてしまったんです。
ギテクも社会的死を迎えます。Self punishment(自己処罰)と言えるでしょう。家が空いた時に出ようと思えば出られたのに、そのまま本人の意思で残ったと感じられるでしょう。
ギテク家族が悪党というわけでもなく、計画して犯罪を犯したわけではないが、とにかく誤ってしまった。パク社長の犠牲もあり、ギジョンが代価を払う形になってしまい、その罪悪感で自らを罰した、セルフ監禁だ」と語っています。
<主な参考資料>
- ライブトーク:韓国の映画公開日(2019/5/30)にポン・ジュノ監督とイ・ドンジン映画評論家が行った。
- ポン・ジュノ監督インタビュー:봉준호 감독이 직접 말한 ‘기생충’과 ‘어스'(US)의 연결고리
最後に:まだまだ書きたいことがある『パラサイト 半地下の家族』
気づいたらかなりの長文になってしまいました…。
映画は131分で終わりますが、監督・製作関係者が何年も構想を練ってつくりあげているものなので、一つ一つのセリフ、行動、セットや小物でも適当に作られたものは何一つないはずです。
ビールをとっても、最初は安い”国産の発泡酒”だったのが、”SAPPORO”になって、しまいには”洋酒”を飲み放題。
パク社長が初めて登場した時、センサー灯が一つずつ光っていたのは地下の男がしてるのか!とか。
パク社長が前家政婦のことを「2人分食べる」と言ったり、セリフの中に伏線もあって、まだいろいろと気づくところがあると思います。
>>『パラサイト 半地下の家族』ネタバレ解説2:制作秘話、韓国人だけがわかる話
後から知って本当に驚いたのは、あの半地下の家もその近所も全てセットだったということ。
パク社長の家も含め映画の90%がセットだったそうです。特にあの半地下の家の臭いや湿気が伝わってきそうなリアルな生活感に脱帽です。
また、韓国に住んでいる私も、台湾カステラやチキン屋などの話はここ数年で実際に感じたことでもあるし(詳しくはここの韓国情報をどうぞ)、知り合いが軍隊に行く、帰ってきた、ずっと就職のために勉強してるなども本当に身近な話です。
韓国人だったら尚更で、ギテク家族が自分の周りにいてもおかしくありません。
ポン・ジュノ監督はライブトークでこう語っていました。
明らかな悪党も天使もいない映画で、みんな適度に悪く、適度に善良で、適度に卑怯で、適度に正直な人々がもつれて破局に至ります。
私たちがニュースを見るとき、結果だけ見ます。それは誕生日パーティーの芝生の上で起きた結果だけです。でも、そこには私たちが簡単に察知できない長い脈絡があるんです。
映画はそんな結果に達した微妙な段階を2時間にわたって追っていけるーそれが映画の力ではないかと思う。
韓国社会の今の空気感をリアルに描写しているこの映画、いろいろな解釈があると思うし、いろいろな感じ方があっていいと思います。
そして、白黒版もあります。
>>『パラサイト 半地下の家族』白黒版を公開する理由:なぜ今モノクロか?
最後まで読んでくださって、ありがとうございました!
また見直したら新しい発見があるかも!
ネタバレ解説の続編
『パラサイト 半地下の家族』ネタバレ解説2:制作秘話、韓国人だけがわかる話
ポン・ジュノ監督の隠れた名作
『母なる証明』ネタバレ解説:実は〇〇の話だった!監督インタビューによる再解釈