新人であるホン・ウィジョン監督の初長編作品でありながら、ユ・アインが出演、しかもセリフがないことで大きな話題になった『声もなく』。
今まであった犯罪映画とは全く違う、なんだかシュールで独特な世界観。
見終わった直後は何かモヤっ~としていたんですが、監督が何を描こうとしたのか気になって韓国の記事を調べたら、ただ映画を見ただけではわからなかった監督の意図がわかって、急に見方が変わりました。
わかると、すごくおもしろい!
この記事では監督インタビューを基に、監督がどんな考えでどんな仕掛けをしたのか解説していきます。
映画を見てから読んでね!
監督が描きたかったこと
ストーリーの原型は韓国の昔話
ホン監督は子供の頃、昔話『별주부전(鼈主簿伝)』に怒りを感じ、それがこの映画の原型になっているそう。
この昔話は別名『ウサギとスッポン』、『ウサギの肝』とも言われていて、韓国人なら子供も知っている朝鮮時代の昔話。
<あらすじ>
海の竜王が重い病になり、ウサギの肝臓を食べれば治るというので、スッポンがウサギを連れてくることになった。うまくウサギをだまして竜宮に連れてくると、状況がわかったウサギは「肝臓を置いてきたから取ってくる」と言ってまたスッポンに乗って戻り、まんまと逃げていきましたとさ。
(要約:パンダ夫人)
監督曰く、ウサギは拉致されたのにむしろ悪者で、まるで狡猾に描かれているのが悔しくて不条理に思ったとのこと。
確かにウサギは生き残るために知恵を働かせただけだし、スッポンは竜王を思って誠実に仕事をしただけであって、どちらが悪くてどちらが善良なのか断定できないですよね。
『声もなく』に登場する平凡な人が犯罪に加担する話はここから思いついたそう。
だから善悪があいまいなんだ~
そして、ホン監督は「生存についての話をしたかった」とこう話しています。
私たちは生まれる時、環境を選べないじゃないですか。選択できない環境の中で生存するためにもがきながら、私たちみんながある程度、怪物になっていくようだ。
出典:‘소리도 없이’ 홍의정 감독이 빚어낸 기묘한 아이러니의 세계
すなわち「不十分な環境の中で、生き残るためにもがくうちに、徐々に悪に陥る人間群像を見せたかった」そう。
それで登場人物たちー 片足が不便なチャンボク、話ができないテイン、ある意味誘拐されたチョヒまでも、望んでいない環境で生存しなければならない状況に設定されているんですね。
声もなく、私たちはこうして怪物になる
最初に考えていたタイトルは『声もなく、私たちはこうして怪物になる』だったそう。
それが『声もなく』だけになったんですが、邦題で『声もなく』になっている韓国語の原題”소리도 없이”はもっと絶妙なニュアンスなんです。
韓国語の”소리”という単語は「声」という意味もありますが、「音」「知らせ」「考え」といった意味も含みます。
なのでただ声がないだけでなく、そうした気配もなく知らないうちに、私たちはこうして怪物になるという感じ。
まるで会社員のように誠実に黙々と働いていたチャンボクやテインが、悪意もなく気づいたら誘拐犯になってしまったように。
初期タイトルで監督が何を描きたかったのかわかるね
ハンナ・アーレント「悪の凡庸さ」
突然ですが、ユダヤ人数百万人を強制収容所へ移送したナチスドイツの責任者、アドルフ・アイヒマンはどんな人だったと思いますか?
哲学者ハンナ・アーレントは裁判で彼を見て衝撃を受けます。
アイヒマンは民族主義者でもなく、非道な極悪人でもサイコパスでもなく、ただ上から指示された任務を淡々とこなした”普通の人”だったからです。
ハンナは著書『エルサレムのアイヒマン』で、
「悪とは、システムを無批判に受け入れることである」と。(省略)
通常、「悪」というのはそれを意図する主体によって能動的になされるものだと考えられていますが、アーレントはむしろ、それを意図することなく受動的になされることにこそ「悪」の本質があるのかもしれない、と指摘しているわけです。
出典:9割の悪事を「教養がない凡人」が起こすワケ
つまり、何も考えずただ言われたとおりにすること自体に問題があるということ。
人類史上でも類を見ない悪事は、それに見合うだけの「悪の怪物」が成したわけではなく、思考を停止し、ただシステムに乗っかってこれをクルクルとハムスターのように回すことだけに執心した小役人によって引き起こされたのだ、とするこの論考は、当時衝撃を持って受け止められました。
凡庸な人間こそが、極め付きの悪となりうる。「自分で考える」ことを放棄してしまった人は、誰でもアイヒマンのようになる可能性があるということです。
出典:9割の悪事を「教養がない凡人」が起こすワケ
このアイヒマンの話を聞いて、ちょっとドキッとしませんか?
会社のやり方、上司の考えがおかしいと思いつつも、「とりあえず給料もらえばいいか」と疑問や不満、反論などにフタをして業務をする…誰にでもこんな経験ありますよね。
ホン監督もインタビューで話していますが、このハンナ・アーレントの「悪の凡庸さ」も念頭にあったそう。
私たちが日常生活で経験する一般的な職場と、チャンボクとテインがしている死体遺棄のような仕事に大きな違いがないように描こうとした。日常的に行われる悪について書きたかったし、これを犯罪素材と連結させた。これに加えて、善意でも誤った結果を、悪意でも肯定的な結果を引き起こす可能性があるという皮肉さを込めた。
出典:‘소리도 없이’ 홍의정 감독이 빚어낸 기묘한 아이러니의 세계
善悪があいまいで、いい人なのか悪い人なのかわからない…そんな演出がただおもしろいと感じていたんですが、ハンナ・アーレントの「悪の凡庸さ」を知って、思っていた以上にもっと映画の意図が深いことに感嘆。
また、善と悪はそうわかりやすく分けられたものではないのに、私たちは表面だけ見て簡単に善悪を断定しているんじゃないかー
善と悪は、時間の流れと社会の姿によって変わっていくものだと思う。ただ、今まで話をしようか悩んだのは、あまりにも断片的にどれも解釈しない方がいいという自己反省である。ある人が現在の姿になるまで、ずっと前からあったその人の環境の影響かもしれないのに、一部分だけを見ないようにしようという反省からである。
出典:‘소리도 없이’ 홍의정 감독이 빚어낸 기묘한 아이러니의 세계
善悪があいまいな皮肉や偏見をうちやぶるような演出はここからきてるんだね
主人公にセリフがない理由
映画の中では、テインがなぜ話ができないのか、障害があるのか、それとも意図的に話をしないのかは何の説明もありません。
ホン監督曰く、「どんなに話をしても、世間が聞いてくれなければ話をしないのと同じではないか。話を聞いてくれない社会で起きる話だからそうした」とのこと。
監督が驚いていましたが、ユ・アインは「なぜテインは話ができないのか」聞かずに、質問したのは一つだけ、「なぜ話さないキャラクターの話をしたかったのか?」
その答えが上記の答え。
監督はこの質問を聞いて、ユ・アインがこの役について理解してくれていると感じたそう。
ユ・アインはテインを演じるにあたって、ある人物についてその事情を全て知ることはできないように、だたそこにいるそのものを受け取るだけで、映画が説明しようとしないことを持ってこようとしなかったとのこと。
ユ・アインは役を存在で演じてるみたいだよね
そしてホン監督はあるインタビューではっきりとこう明言しています。
テインは話ができない人ではない。話をしない人である。(省略)
こだわってそうした理由は2つある。
一つ目は、どんなに話をしても世間が聞いてくれなければ、言葉がないのと同じだということ、二つ目は、身体的な問題が目立っていれば、自分の環境を選択できないという現実的な限界を描くことができるということだった。それでチャンボクは足が不自由で、テインは話をしない。
出典:‘소리도 없이’ 홍의정 감독이 빚어낸 기묘한 아이러니의 세계
話す意思を失くしてしまったような過去があるのかも
テインのモデルはゴリラ
なんと監督がユ・アインに送った参考映像はゴリラの映像で、「領域を侵犯されたゴリラ」のように表現してほしいと話したそう。
ゴリラは実は怖い動物ではないという。ほとんど草食でアリ程度を食べる。ユ・アイン俳優に参考映像を送ったが、ゴリラがどこかに隠れてアリを食べる場面だった。ルックスは怖く見えるが、アリを食べる動物だから、自然にアリを摂取する。テインも犯罪に関連する仕事をして、見た目も荒れて見えるが、心だけは、私たちの考えと違ったらと思ってそうした。もちろん、見かけもゴリラのような歩き方だったらいいなと思った。
出典:‘소리도 없이’ 홍의정 감독 – 생존에 관한 이야기를 하고 싶었다
ユ・アインは映画のタイトルも挑戦的で気に入ったし、ゴリラの映像を参考に送られるのも新鮮で、監督との作業が新しくおもしろかったとのこと。
なんだかテインがゴリラに見えてくるよね
テインの体格について
当初監督はテインが痩せた少年のようなイメージをもっていたそうで、初めてユ・アインに会った時、「力がいる仕事だから体格がいいんじゃないか」と太ってきた姿を見て、監督が本来のイメージを伝え、ユ・アインが快く減量したんだそう。
でもやっぱりユ・アインが提案したとおり太っている方がいいとなり、また増量することになったんだとか。
ただ増量しただけじゃないんだね
チキンやアイスクリームを爆食いして、現場ではサツマイモシェイクをずっと飲んで15kg増量したのもすごいですが、撮影終了後、すぐに体を戻せるのもすごいですよね。
撮影後は20kg減量したんだって
善悪をあいまいにする仕掛け
右の女性が監督だよ
悲しいストーリーだったら、悲しい音楽を流すというように、普通はストーリーにトーン&マナーを合わせるのが一般的な公式です。
が、ホン監督はあらすじで客観的に見ればテインが犯罪者だという話を書き、トーン&マナーはアイロニカルにこの人は悪い人じゃないという雰囲気を出し、ストーリーと全く反対のトーン&マナーにしたそう。
子供用のカエルのカッパ、キムチ漬ける時の手袋とかシャワーキャップもおかしいよね
チャンボクとテインが言ってみれば殺人ほう助や死体遺棄という犯罪を犯しているにもかかわらず、背景は青い空に緑の田んぼ、時には幻想的な夕焼けがとてもきれいだったり、のどかな音楽が流れるのは、まるでヒューマンドラマみたいですよね。
監督はトーン&マナーだけでなく、善悪が入り交じる場面を作り、自分が誰の側につけばいいのかわからなくしたかったそう。
それで、この映画を見ていると悪党が悪党らしくないし、いい人でも悪いことしていたり、善悪があいまいで、そこに皮肉も含まれています。
まじめに勤勉に働いていたのは、殺人ほう助や死体遺棄で、それでいて信仰心が篤い。
何に対してもぶっきらぼうなテインがおばあちゃんに卵をあげたり、チャンボクは誘拐に加担しているのに、チョヒに「怖い人が多いから気をつけるように」話したりする。
今まさに室長が殺されようとしている殺人現場で、チョヒとヤクザたちが扇風機の前で涼んでいる。
誘拐や人身売買をしているような悪党が、まるでその辺の田舎のおじさんだったり、逆に変態っぽい酔っ払いのおじさんが本物の警察官だったり。
チョヒを売ろうと捕まえに来た悪党が「生きたまま埋めるなんてひどい」とかなんとかいいながら助けてあげたのが警察だったり、善悪が見事に入り交じっています。
特にチョヒが誘拐されてチャンボクとテインに会った場所、これからチョヒをどう処分するか相談した場所の背景はピンク。
普通の犯罪ものには決してないイメージです。
ホン監督は犯罪のテーマに既存の作品とは一線を画す”日常的なトーン”を使い、映画全体を通して皮肉を生かすために、季節は夏に設定、明るい感じを出すことができるパステルカラーを映画の中心カラーにしたそう。
こうした”日常的なトーン”を使うことで、悲劇が日常にも起こりうることを示唆し、また前述した「悪の凡庸さ」も表現しています。
(誘拐した)人を預けるという重要な取引でも、用があるからといって鍵を植木の下に置いておいたり、身代金を要求するために準備するものは、まるで遠足のようにプリントを見ながら準備したりとまるで日常的。
なんかほのぼのしてたよね
これは日本語に翻訳されるかわかりませんが、背景に見える看板や広告も、皮肉でおかしくて笑ってしまう所がいくつもありました。
例えば、オープニングでチャンボクとテインが殺人ほう助の準備をする時、その壁に書かれていたのは、「誠実な汗は明日の微笑み」
チャンボクが階段から転がり落ちて絶命してしまう場面も、背景に見える旅行会社の広告が「楽に空へお連れします 夢見るツアー」とか書いてあるんです笑
鶏を飼いつつ、人身売買している夫婦の家には「平和ガーデン」の看板がかかっているし、子供を運ぶワゴン車は「望み幼稚園」になっていたり。
そうした皮肉たっぷりなシュールな場面が、この映画の魅力ですね。
笑う場面じゃないのに笑っちゃうよ
ラストシーンとモチーフの考察
ウサギの仮面
勘のいい方はもうお気づきかもしれませんが、前述した昔話『鼈主簿伝』に出てくるウサギはチョヒで、スッポンはテインです。
チョヒがつけていたウサギの仮面は、弱者の代表であるウサギでも、弱者ではないかもしれないニュアンスも見せたくて強く見える仮面にしたそう。
ウサギだけどウサギらしくなかったよね
監督曰く、もちろんこの昔話のモチーフでもあるけれど、それだけでなくチョヒは一生仮面をつけて生きる方法を身につけていて、
ラストシーンで家族に再会した時、まるで仮面をつけるかのような表情をするのも、それは情報不足で父親がお金を払ったのを知らないのもあり、「この家に行ったらどうやっていい娘になるか」そうした決心だったそう。
ちょっと悲しいね
そもそも監督は、チョヒについて三代一人息子の弟がいる家、息子を重視して同等に扱ってもらえない環境で、チョヒは生存するためにどんな苦労をしただろうかと想像しながら設定したとのこと。
それで頭もよく、礼儀作法もしっかりしてるし、掃除や洗濯もできるし、相手や状況を見ながら行動する判断力もあったんですね。
普通は家庭が温かいはずなのに、チョヒにとっては身代金を要求するために撮ったポラロイド写真が、一番の笑顔だったのがまた皮肉ですね…
スーツ
テインは室長が乗っている高級車に乗ってみたり、タバコの吸い殻を吸ったり、どうやら憧れを抱いていたのがわかります。
それは室長本人というより、高級車に乗ったり、タバコを吸ったりする”いい生活をする人”に、もしくは力がある”全うな人”に憧れていたんでしょう。(それがヤクザというのも皮肉ですが)
私が思うに、テインはとにかくそういう存在になりたかった。
チョヒを仕方なく人身売買の店へ預け、家に帰ってきて壁に寄りかかると、洗濯した室長のスーツがかかっているのに気づきます。
恐らくチョヒがきちんとかけてくれたんでしょう。
そこで、スーツを着て”全うな人”としてチョヒを助けに行くんです。
チョヒを連れ戻した後も、チョヒの気持ちを察して、スーツを着て”全うな人”として学校へ連れて行ってあげます。
が、そこでテインが悟ったのは「自分が誘拐犯だ」ということ。
監督は、テインやテインに感情移入した自分に最後に思わせたかったのは「しっかりしろ!これは犯罪だ!」だったそう。
自分が”全うな人”になりたくて、チョヒを助けたり送ってあげたりしたけど、実は誘拐犯だったという事実に愕然とするのです。
追われる立場になったテインは、あれほど執着していたスーツを脱ぎ捨て、呆然とするところで映画は終わります。
前述したとおり、監督はストーリーではテインが犯罪者だという話で、トーン&マナーはこの人は悪い人じゃないという雰囲気にしたので、テインとチョヒの旅が終わった時、ストーリーとトーン&マナーが合わさった時点で終わりにしようとしたそう。
それでここで終わってるんだね
<参考にしたインタビュー記事>
- ‘소리도 없이’ 홍의정 감독이 빚어낸 기묘한 아이러니의 세계
- ‘소리도 없이’ 홍의정 감독 – 생존에 관한 이야기를 하고 싶었다
- “유재명·유아인씨 출연 좀…” 명문대 원서 넣는 심정이었죠
<参考にしたインタビュー映像>
最後に:もしかしたら私たちも、声もなく…
この映画がただ挑戦的で新しいだけでなく、「悪の凡庸さ」など社会的なメッセージも含み、皮肉や笑いまでも誘う秀逸な作品になっていることに感服です。
私も監督インタビューを読むまではそこまで理解できませんでしたが、わかるとほんとにおもしろい!
自分たちが直面している環境で、生存するためにそれぞれの基準で誠実な日常を生きている私たち。
もしかしたらそこには善悪の判断を保留したまま、まじめに生きる私たちの無感覚な姿があるのかもしれません…。
思ってたより深かった~
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