「監督~、シーズン3で全て回収されるって言ってたのに~」というのが私の正直な感想。
あれだけのキャストを配置しておきながら、十分な活躍や説明がないまま終わってしまった消化不良感はぬぐえないものの、監督が最後にメッセージを伝えたかった想いはひしひしと感じました。
ファン・ドンヒョク監督は『イカゲーム』シリーズを6年かけて制作する過程で、ストレスで計10本の歯が抜けた(!)というから相当な心労だったはず。
世界的な大ヒットの結末ということで賛否両論ありますが、監督によると元々考えていた結末はハッピーエンドだったんだそう。
ではなぜ、結末を変えたのか?
韓国メディアによる監督インタビューなどをもとに『イカゲーム3』を解説&考察していきます。

当初のハッピーエンドは?

ファン・ドンヒョク監督は結末について、韓国の複数メディアの取材に答えていますが、当初の構想では漠然としたハッピーエンドを考えていたそう。
- ギフンが警察ジュノと会ってゲームを終わらせ、アメリカにいる娘に会いに行く
- ギフンが数人の生存者を連れて脱出する構想も
- シーズン1の制作当時は、ギフンを勝者としてシーズン4、5まで続けることも考えていた
出典:호불호 갈린 오징어게임 결말…황동혁 “원래 결말은 달랐다”, ‘오징어 게임’ 황동혁 감독, 호불호 반응에 답하다 [인터뷰], ‘오겜3’ 평가 엇갈려도 93개국서 1위…황동혁 “나름 해피엔딩”
これはまさに多くのファンが期待していたエンディングだったかもしれませんよね。
しかも短い間とはいえ、シーズン4、5まで考えていたことがあるなんて!
では、なぜ監督は結末を変えたんでしょう?
結末を変えた理由
ファン・ドンヒョク監督は、脚本を書き進めていくうちに「自分はなぜこの作品を書いてるのか」と自問するようになったといいます。

『イカゲーム』はまさにこの社会の話で、シーズン1制作時よりも世の中がますます生きづらくなった今こそ、ギフンを通して強いメッセージを届けるべきだと結末を変えたそう。
不平等は深刻化し、戦争の脅威は高まり、気候危機はすでに訪れているのに、誰も責任を取らず、自国優先主義が強まるこの世界で、未来の世代はどう生きていけばいいのか。アマゾン創業者のジェフ・ベゾスは、結婚式に700億ウォン以上を費やしたそうだが、このように富は一部の人々に集中している。今こそ既成世代が、現在の成長や発展、欲望を少し抑え、犠牲を払ってでも未来世代のために行動すべき時だと思い、子供を登場させることにした。
監督は敢えてゲームに子供を登場させて、「未来の象徴である子供」にギフンが犠牲を払う姿を描いたんですね。
これは単に子供を守るというより、「上の世代が利己的に自分のことばかり考えるのではなく、未来のために犠牲を払うべきだ」というメッセージでしょう。
監督曰く、主人公ギフンの結末は悲劇ではなく、ある意味では“ハッピーエンド”で、希望を抱くことが難しくなったこの時代にあっても「人間に対する信頼を最後まで守り抜いた」ということなのです。
それはフロントマンから何度も聞かれていた問い「それでも人を信じるのか?」への答えでもあり、利己主義のゲームでギフンが貫いてきた良心(途中でどん底に落ちたけど)に従った故の行動でした。

ギフンを演じたイ・ジョンジェは結末を知って驚いたそうだけど、ショービジネスじゃなく作品性を重視する監督の意図を尊重したんだって
フロントマン vs ギフン
ギフンの自己犠牲で監督のメッセージ性は強くなりましたが、一方でギフンの魅力が半減してしまったと感じたのは私だけでしょうか。
これも監督がギフンを極限まで追い詰めたからです笑


弱い人間の姿を描きたかったんです。ヒーローのように登場したけれど、結局ヒーローにはなれず、その罪悪感をテホに投影してしまう。そんな普通の人間の姿を見せたかったんです。
テホを殺して初めて、それが罪悪感の表れだったことに気づき、子供のために自らを犠牲にすることになるんです。
演じたイ・ジョンジェは、役作りのために1年以上蒸し野菜だけを食べて10kg減量し、ストレスやパニックで体が「干からびたイカのように縮んでいくギフンの姿」を表現したんだそう。



シーズン1とはまるで別人!
逆にとても惹きつけられたのはフロントマン。
彼はもともと正義感の強い警察官でしたが、妻の死をきっかけに闇落ちした人物。だからこそ、自分とは違う道を歩もうとするギフンを見て、ある種の劣等感や恥ずかしさを感じていたはず。


フロントマンも過去のゲーム勝者ですが、シーズン3ではどうやって勝者になったか、具体的な描写がありましたよね。
彼は同じ提案をギフンにもして、子供と2人で生きて帰る方法を教える一方で、何としても自分と同じ選択をさせたい、つまりは自分を正当化したい思いがあったんでしょう。
でもギフンは違った。
ギフンの自己犠牲の後、フロントマンが赤ちゃんを救ってゲーム会場を爆破したり、ギフンの遺品を娘に届ける行動は、ギフンの「人間性の勝利」を認めた証であると監督は説明しています。
(ギフンに対しての敬意も感じられますね)



根っからの悪人じゃないフロントマンがどうして主催者になったか、スピンオフ見たいよね
母はなぜ息子を刺したのか?


母親が自分の息子を犠牲にしたことに「なぜ?」と思った方も多いかもしれません。
でもここは監督が伝えようとしたメッセージにつながっています。
私は結婚もせず、子供もいない。しかし、親の世代から受け継いだ世界で生きており、次の世代に受け継ぐ世界について考えている。劇中では、親の世代が子供世代のためにどのような行動をとり、どのように死ぬかを示すことが重要だった。
母クムジャは、自分の目の前で息子が「無防備な赤ん坊と母親」を殺そうとするのを黙って見ていることはできなかったに違いありません。
親としてそんなことはさせられなかったのでしょう。
結果として息子ヨンシクはルールによりピンクガードに殺されましたが、母親が刺したのは右肩で急所ではありませんでした。
天空イカゲームでの社会風刺
シーズン3のゲームは、今までのゲームに比べるとやや面白みに欠ける印象でしたが、それでも最後の「天空イカゲーム」は社会風刺がすごくきいてましたね。
監督はインタビューで、監督が選ぶ最高のゲームに「天空イカゲーム」を1位にあげていますが、このゲームはエンタメ性よりも、監督のメッセージ、ドラマのテーマが強く出ています。
変わっていたのはそのルール:
- 各ステージで1人以上を生きたまま落とせば通過
- ゲーム開始はボタンを押してから
このゲームのルール上、「最も弱い者を選んで突き落とす」という方式が、社会的なセーフティネットもなく、弱者から脱落していく現代社会の姿といえるでしょう。



この死闘をVIPが高みの見物をしてるってのも風刺だよね
そして、各ステージでの描写もイ・ドンジン評論家の解説がすごく参考になったので、私の考察もふまえてまとめました。
「いつスタートボタンを押すか」をチェックしながら、もう一度見てみるとおもしろいです!
四角の柱(第1段階):政治のゲーム化
第1ステージでは、すぐにスタートボタンを押してゲーム開始、誰を排除するか決めるのに公平かつ民主的だということで投票します。
これまでの投票はゲームの合間、つまり「ゲームの外」で行われていましたが、投票つまり政治行為が初めて「ゲームの中」に取り入れられました。
シーズン2から風刺されてきた歪んだ民主主義(多数決なら公平で正しいのか?)だけでなく、政治そのものがゲームと化していること、そしていかに血生臭いものになりうるかということを示しているのかもしれません。
「これは討論を経て、民主的に決定されたんです」
「すみませんが死んでください」ってすごいセリフですよね笑
三角の柱(第2段階):政治の無力化、そして暴力
第2ステージでは、すぐにスタートボタンを押さずに「まず子供を引き離してから」ということで、民主的な投票、議論で解決しようとします。
が、うまくいかずに参加者が勝手にボタンを押してゲーム開始、自分の手を汚したくない心理やだましあい、裏切り、1人落ちた後も欲から不必要な争いを続け、暴力が暴力を生む乱闘状態に。
ここではゲーム内外で政治行為が行われるものの何の解決にもならず、政治がいかに無力であるか、そして結局は力がものを言う状況を風刺しているのかもしれません。



ゲーム会場の看板に「安全第一」ってあるのも皮肉だね
丸の柱(第3段階):最後に残るのは人間性と道徳
最終ステージでは、スタートボタンが押されていないまま、ギフンとミョンギが命をかけた闘いを繰り広げます。つまり、この闘いはゲームではなく「現実」なんです。
政治的な要素がなくなったこのステージ、子供を殺そうとするミョンギはゲームに負けて死んだのではなく、人間性に負けて死んだと言えます。


いままで象徴的に使ってきた記号、もっと「配当金を増やしたい欲望の○」と「みんなで生き残ろうとする×」、○のステージでミョンギはギフンの×の服につながっていましたが、それが破れて死んだのです。
最後はギフンがスタートボタンを押し、自分を犠牲にして子供を救うという道徳的な選択をしてゲームは終了します。
「あのおじさん達、誰?」
そう思った方も多いでしょう。
私がシーズン2の考察で、「ドラマで見慣れた顔の俳優さんがエキストラに紛れていて、シーズン3に何らかの役割があるんじゃないか」と思っていたのがまさに最終ゲームに残ったおじさん達でした。
この中堅どころの俳優さんは、韓ドラをよく見てる人じゃなければわからないし、そもそも最終ゲームに入るまでほぼスポットが当たっていませんでした。
私も最初は「最終ゲームにしては地味なキャスティングだな」と思っていたんですが、「天空イカゲーム」の考察をしてみて、監督はなぜこのキャスティングにしたのかわかる気がします。
この黒いスーツを着たよくわからないおじさん達、まるで政治家じゃないですか?
民主的な方法で決めるといって投票や議論する姿、「異議あり!」などの口調、よく見てみると笑ってしまうほど政治を風刺しています。
警察ジュノとノウルの役割
結末の変更で存在意義を失ったジュノ


警察のジュノはシーズン3の後半まで、島をずっと探しつづけていましたよね。
ファン・ドンヒョク監督は、元々ハッピーエンドを考えていて、ジュノが傭兵たちといっしょに島を見つけて脱出する場面を書いていたと言っています。
でも最終的な結末が変更されたことで、ジュノの役割は縮小せざるを得ず、先に島に到着してはいけない宿命を負うことになってしまいました。
ノウルと部隊長 = ギフンとフロントマン


ノウルもまた、ジュノと同じように結末の変更で存在が薄くなってしまいました。
(本来は、警察ジュノ、進行要員ノウル、参加者ギフンの話が最後に一緒になって、フロントマンをはじめとする主催側に打撃を与え、イカゲームのシステムが崩れる結末の構想だったと思われます)
でもノウルはギフンとの共通点が多く、ドラマの主要なテーマ(人間性への問いかけや未来世代への責任)を強化する役割を担っていたとも言えます。
- 娘を失う、もしくは会えない状況
- 他人の子供を救うために自己犠牲を厭わない
そして「フロントマンとギフンの関係」が「部隊長とノウルの関係」でもありました。
部隊長は自分と同じ脱北者であるノウルに目をかけ、同じ道を進むように望むのですが、ノウルはギフンと同じように人間性を選ぶのです。



最後はセビョクの願い、母親が韓国に来て、弟と再会する場面とニアミスするよね
監督もカメオ出演?
シーズン3には、1のセビョク、2のサノスやセミ、そして最後にはケイト・ブランシェットのカメオ出演があり話題になりましたよね。
が、なんと実は監督自身も本当に少しだけシーズン3でカメオ出演しているそう。
この動画で言及されてるんですが、私はまだ見つけられず…、誰か気づいた方は教えてください~!
最後に:『イカゲーム』スピンオフに期待
ファン・ドンヒョク監督は、ギフンの死という結末が「次のシーズンはない」ことを示す意味もあって、ギフンがいない『イカゲーム』は意味がないため、本編の続編が出る余地はないとのこと。
ただ、スピンオフの可能性はあるかもしれず、「仮面」たちに関する物語を描いてみたいそう。
- シーズン1と2の間の3年間の空白期間を描く
- チェ理事がパク船長の家で見つけた写真(メンコ男やフロントマンが釣りをしてた姿)の裏話
デヴィッド・フィンチャー監督がアメリカ版『イカゲーム』を監督するという噂がありますが、ファン・ドンヒョク監督は具体的な話は聞いていないそう。
監督によると、最後にケイト・ブランシェットが「メンコ女」として登場するのは、続編への布石ではなく、『イカゲーム』のシステムが世界中で引き続き機能していることを象徴しているに過ぎないとのこと。
どちらにせよ、これだけのヒット作をNetflixがほっておくはずがなく、これからなんらかの展開は期待できそうですね。



メンコ男、フロントマンのスピンオフ見たい~!!



