国や時代が違うにも関わらず、誰もが心の奥にしまっていた「ほろ苦い思春期の感傷的な記憶」をこれだけ呼び起こされる作品があったでしょうか。
と同時に、
「オープニングはどういう意味だろう?」
「なんでお母さんは気づかないのかな?」とか、気になったシーンも多々。
さっそく韓国メディアや監督インタビューを参考に、監督の意図やシーンについて考察しながらまとめました!
深い余韻にひたった方なら、さらに『はちどり』の世界観にハマること間違いなしです!
全て暗示されていたポスター
韓国オリジナルのメインポスターは、キム・スンファン画家が描いた作品。
映画を見る前は、「雰囲気があるポスターだな」ぐらいにしか思っていなかったんですが、鑑賞後に見たら、背景にソンス大橋の崩落も描かれていたことに気づいて鳥肌立ちました…。
点々の線はまるで『はちどり』が飛んだ跡のようで、明るく美しい世界と、急激な経済成長をとげた韓国社会の影を、垣間見ながら行ったり来たりする―これがウニの世界。
このポスター1枚に映画のエッセンスが凝縮されてますよね。
詳細を知らなくても、一作品として完成されていて、映画を見たらさらに深みが増す、すごく秀逸なポスターです。
オープニングの意味
オープニングはウニが家の前で、ベルを鳴らしたり、母親を呼んだりしても、家に入れないところから始まります。
そこは902号室で、実はウニの家は1階上の1002号室だったのでした。
キム・ボラ監督によると、この映画は「ウニが象徴的な家を探していく話」なので、映画の第一印象となるオープニングでは、ウニが家を探すことができない設定にしたそう。
”象徴的な家”とはおそらく、家にも学校にも居場所がないウニにとって安心できる”心の家”、つまり”心の拠り所”。
それがまさにヨンジ先生であり、先生が教えてくれたこと、この世界の見方で、それがエンディングのシーンにつながってきます。
先生がいなくなっても、先生が分けてくれたこと、悪いことがあっても良いこともある、不思議で美しいこの世界を感じて、見つめるウニの姿。
このシーンはホントによかった
このスローで撮られたシーンは、まるで『はちどり』が蜜を吸っている姿に重なりませんか?
世界で最も小さい鳥のひとつでありながら、その羽を1 秒に80 回も羽ばたかせ、 蜜を求めて長く飛び続けるというはちどりは、希望、愛、生命力の象徴とされる。 その姿が主人公のウニと似ていると思った、と監督は語る。
出典:映画『はちどり』公式サイト
また、監督はオープニングで、ウニと母親との距離を感じさせたかったんだそう。
902号室と間違えた話もせず、ただ母親を見つめるウニの表情から、いろんなやるせなさが見てとれます。
英語タイトルは”House of Hummingbird”、『はちどりの家』だよ
呼んでも振り向かない母
外で母親を見つけたウニは「お母さん、お母さん」と大声で何度も呼びますが、母親は全く気付かない…。
きっと「どうしてだろう?」と思った人も多いのでは。
そもそもウニの母親は、家事に仕事に忙しく、あまりウニを見ることもありません。
父親は隠れて社交ダンスをしたり、息抜きをしていますが、母親にはそうした時間もなく疲れ切っているんです。
頭が良くても経済的に高校に行けず、家事育児・仕事に追われ、(映画には描写がなくとも)必然的にお正月やお盆、先祖の命日には1日がかりで料理を作らなくてはいけない韓国の母親。
監督曰く、母親という存在が自分を出せるのは、家ではない別の空間でネギを買って家に帰るちょっとした時間に、ふと自分に戻って虚しさや孤独を感じている姿なんだそう。
外では母親という役割を脱ぎ、自分だけの世界に入っているので、ウニがどれだけ母親を呼んでも気づかず、ウニにとっても見たことない母親の姿が今はわからなくても、大人になったらわかるはずという気持ちで書いたそう。
この母親を念頭に映画を見直してみると、母親がただ忙しいだけじゃなく、兄を失った喪失感を感じる時間もなく、生活に追われて抜け殻みたいになっているんですよね。
ウニに愛情や関心がないのではなく、もう力が抜けちゃってる…。
韓国に嫁に来た身としては、今でも伝統行事にまだ残っている女性への負担に「早く変わってくれ~」と願っていますが、それでも昔よりかなり楽になっているんだとか。
だとしたら昔の女性はどれほど大変だったんでしょう…。
壊れたランプの破片
ウニの両親が言い争いになり、ランプで父親が怪我をし、破片が部屋に飛び散りました。
でも翌朝、何もなかったかのように両親は一緒にテレビを見て笑っているんです。
それからすっかり忘れた頃、ウニがソファの下にランプの破片があるのを見つけます。
監督はこれを記憶の一片を見つけたように演出したそう。
翌日は何もなかったように笑っているけど、そのケンカや傷を負った跡は家の壁やいろんなところに残っているように、記憶は忘れようとしてもどこかに残っていて、ある時それと向き合うことになります。
突然泣き出した父と兄
ソンス大橋の崩落事故の後、食事中に突然兄が泣き出す場面があります。
韓国の人は喜怒哀楽がはっきりしているので、男性でも泣くことはあるし、私的には全然不自然に感じなかったんですが、突然父親や兄が泣き出してビックリした人も多かったようです。
このシーンで監督は、一番泣きそうにない人が泣くと思ったそうで、それが兄でした。
兄はウニに暴力をふるう加害者のようではあるけれども(おそらくスヒにも何らかの形で)、自分自身で苦しんでいる人であり、一番気が弱い人が他の人を攻撃すると考えたそう。(かといって暴力を黙認するわけではないが)
実は男尊女卑で苦しんでいたのは女性だけでなく、ものすごいプレッシャーをかけられる兄にもあり、スヒや全てに罪悪感を抱いている陰を見せることで、多面で人間的なところを見せたかったんだそう。
病院で突然泣き出す父親も同じ文脈で、普段はあれだけ叱っているものの、実は腕に傷があるスヒや、ウニにも体に傷ができてしまうことに胸を痛めているんですよね。
監督は登場人物のキャラクターについて、ただ”主人公の加害者”とか、”主人公の友達”といった役割にしたくなかったそう。
この映画ではウニが主人公だけれども、実際には誰もが自分が主人公の人生を生きているのであり、描写ができなくてもそれぞれのストーリーが浮かんでくるようにしたかったそうです。
キム・ボラ監督はエドワード・ヤン監督の『ヤンヤン 夏の想い出』を参考にしたといい、一人が主人公でなく、その世界でお互いに影響を与え合う様子が似てほしかったとも言っています。
遠景で人物を撮ったり、色の感じとか似てるところあるよね
81年生まれ、キム・ボラ監督
『はちどり』の設定は1994年、ウニは中2の14歳。
この映画は、81年生まれであるキム・ボラ監督の記憶のかけら、忘れられない言葉、経験、そうした断片を集め、5年の歳月をかけてシナリオにしたものです。
(ニューヨーク留学中に中学校の悪夢を見続けたことがきっかけだそう)
ウニが住んでいたテチ洞、餅屋を営む両親、漢文塾や耳の後ろのできものを手術した設定などは監督と同じですが、かといって監督の自叙伝ではなく、経験をベースに普遍的なフィクションへと昇華されています。
写真で一番背が高い女性がキム・ボラ監督で、韓国での女性を取り巻く環境に問題提起した大ベストセラー『82年生まれ、キム・ジヨン』とまさに同じ世代。
この本、および映画は、韓国で黙認されてきた男尊女卑の文化に一石を投じ、フェミニスト論争を生み出しました。
『はちどり』も同じ時代なので、必然的にそうした描写はあるものの、その時代の空気に含まれる要素としてであって、そこに良し悪しをつけるというより、人や国や時代の成長痛のようなとらえ方になっています。
キム・ウニという名前
キム・ウニという名前は、監督が小さい頃好きだった漫画家の名前。
また、ウニという音もきれいなので、監督が気に入って使っているそうです。
監督も漫画好きだったんだね
ポケベル番号の意味
この時代、韓国ではポケベルのことを「ピッピ」と呼んでいました(かわいいw)
彼氏から送られてきた「1004 486 486」ってどういう意味なんでしょう?
「天使 愛してる 愛してる」だよ
韓国語の発音が似てるから
へえ~すぐわかるんだね
漢文塾と先生
日本の感覚で言うと、漢文塾って聞いたことないし、不思議な感じですよね。
でも、実際にこの時代、ウニや監督が住んでいたテチ洞では流行っていて、他の塾と同じようにけっこうあったそうなんです。
監督も漢文塾に通い、先生に会ったわけですが、だから設定したというより、ストーリー上、心を通わせたり、お茶を飲んだりする余白がある空間、それが漢文塾がピッタリだったとのこと。
確かに漢文塾の空気感って映画的な空間ですよね。
そして漢文を教えてくれるヨンジ先生は、監督が今まで出会ったカッコいい大人を合わせて作ったキャラクターで、大人になった自分が昔の自分に聞かせたかった話をしてくれる人物なんだそう。
先生の背景ははっきりと描かれていませんが、今は大学を休学しているものの、大学では社会運動に参加し、社会に対して傷つき、戦ってきた活動家のようです。
(映画『1987、ある闘いの真実』の時代ですね)
先生が歌をうたってくれる場面がありますが、これは実際に監督の漢文の先生がうたってくれた歌だそう。
その時代の労働者の歌で、毎日毎日機械に囲まれて働き疲れ、青春も過ぎ去り、切られた指を見ながら焼酎を飲む、といった内容で、辛くても指を見ながら涙と焼酎で癒しながら生きていく―そんな感じです。
先生がウニに「辛いことがあったら指を動かしてみて」と教えてくれたのと通じるところがありますね。
余談ですが、ヨンジ先生にウニが抱きつく印象的なシーンがありますが、その背景の窓から見える木々がサッーっと風が吹いて動くんです。
これは図らずも自然にそうなったんだそう。
監督曰く「天が助けてくれた」って
『クヌルプ』と『赤と黒』
ウニが本を手に取るシーンがあります。
漢文塾ではヘルマン・ヘッセの『クヌルプ』、ウニの家の本棚からはスタンダールの『赤と黒』でした。
監督は脚本を書く時にも、この本をイメージして書いたそう。
『クヌルプ』の主人公はヨンジにとても似ています。なぜなら、クヌルプは社会の規範やルールに従わないキャラクターだからです。彼は結婚もしないし、子供もいません。私がクヌルプを好きな理由のひとつは、社会規範やルールを守らないのに、それを守っている人を批判しないところです。(省略)
スタンダールでいうと、『赤と黒』の主人公ジュリアン・ソレルが、中学時代の自分の性格にすごく似ているんです。彼は物事を深く考え、自分のことを恥ずかしく思っていた。彼の旅を追うことは、私にとってとても興味深いことでした。
出典:Coming of Age in Korea: Kim Bora Discusses “House of Hummingbird”
それぞれ似ている主人公の本が、それぞれの場所にあったというのもおもしろいですね。
また小説も読んでみると、ヨンジやウニ(=監督)のイメージがもっと広がりそうです。
そう聞くと、また読みたくなっちゃうね
国民共通のトラウマ
「漢江(ハンガン)の奇跡」という言葉を聞いたことがないでしょうか。
韓国は、世界に例を見ないほど急速な経済成長を成し遂げました。資本と 資源がほとんどない状況から、しかも1950年から1953年までの3年間、戦争で 産業施設がほとんど廃墟になってしまった状態から成し遂げた経済成長は、 世界で「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれています。
出典:世界の中の韓国経済 – 漢江の奇跡
1960年代の前半までは世界でも最貧国だった韓国が、1987年に民主化、1988年にはソウルオリンピックを開催するまでになり、先進国の仲間入りをするきっかけとなりました。
この驚くほどの経済成長の影で、1994年にはソンス大橋崩落事故、1995年には三豊百貨店崩壊事故が発生。
どちらも人災とも言える手抜き、不正工事が原因で、「どうしてこんなことが…」という衝撃を韓国国民が受けたことは想像に難くありません。
その時の衝撃は、昔のことだと忘れているようで、忘れられない記憶なのです。
実際、崩落事故のシーンを見ながら、2014年のセウォル号沈没事故を思い出しました。
当時韓国にいましたが、あの時の衝撃、無力感、次々と流れる報道、あのひっ迫した空気を忘れることはできません。
これは韓国の話ではありますが、日本やアメリカをはじめとする海外でも『はちどり』に共感する人が多かったのは、思春期のほろ苦い記憶はもちろん、3.11や9.11などその国それぞれの国家的な災害を経験し、既視感を覚える普遍的な感情だったからではないでしょうか。
3.11にどこで何をしてたか、はっきり覚えてるよね
三豊百貨店の崩壊事故がストーリーに出てくるドラマ
『ムーブ・トゥ・ヘブン』感想:遺品から人生を垣間見る心温まる物語
エモーショナルな色感と音
映像の色が、明るく、それでいて色が抜けたような色感で、思春期の明るさと記憶みたいな感じとよく合っていましたよね。
撮影はカン・グクヒョンで、いくつかの色調をキム・ボラ監督に提示してフィルムルックに近い色調にしたそうですが、色補正にかなり苦労したんだとか。
このカン・グクヒョン撮影監督は『無頼漢 渇いた罪』でも撮影していますが、この映画も暗闇や青白い夜明けのような色が雰囲気があってすごくいいんですよ!
その他、ゆっくりとした呼吸を感じる速度は何度も編集してみて「この映画にあった速度」を探したといい、作曲家のマティア・スタニーシャには現代のムードを持った非常にアンビエントな電子音楽を頼んだそうで、とてもシーンに合っていました。
キャスティング秘話
この映画の成功は、ウニを演じたパク・ジフと、ヨンジ先生を演じたキム・セビョクがいてこそ。
当時パク・ジフは母親とオーディションを受けに来たそう。
それでいて演技がとても上手で、監督は彼女がリーディングするのを聞いて泣きそうになる不思議な経験をしたといいます。
キム・セビョクはそれまでもいろいろなキャラクターを演じ、特にインディーズ界で実力派として知られていましたが、彼女のリーディングでも監督はスタッフたちと一緒に泣いてしまう魔法のような瞬間だったそう。
まるで運命だね
『はちどり』の序章、短編『リコーダーのテスト』
キム・ボラ監督が2011年に制作した短編『リコーダーのテスト』の主人公は、キム・ウニ9歳。
実は『はちどり』は、この短編の”主人公ウニ”のその後の話なのです。
時は1988年、ソウルオリンピックが開催された年で、ウニはもちろん、家族構成も全く同じ。(お父さん役の俳優も同じ)
ウニは相変わらず?学校で罰を受けてみんなに笑われているし、姉はもうこの時から彼氏を部屋に連れ込んだり、夜遅く帰ってきて父親に叱られているし、兄は両親から優遇され、高圧的な態度でウニに暴力をふるうのです。
母親は生活に疲弊しきっていて、ウニに言いつける時以外には目も合わせない。
ウニはリコーダーのテストがあって、練習しなくちゃいけないのに兄はうるさいからやめろと命令するし、兄のお下がりのリコーダーは音が悪くて新しいのが欲しいけど両親に言えない…。
たった28分の短編なのに、『はちどり』のエッセンスが凝縮されていて泣けるんです。
『はちどり』を見ていなくても泣けますが、見た後だとなおさら、ウニは小さい頃からずっとこうして生きていたんだと痛ましく、両親に対して距離があっても、それでも愛を求めているまなざしが切ないんです。
この頃もやっぱりウニは漫画が好きで、紙でできた小さな家を集めていました。
この時も、自分が安心して居られる”心の家”を求めていたんですね。
この小さな家は何度か登場するよ
最後に:高2になったパク・ジフはゾンビと戦う
ウニを演じたパク・ジフは高校生となり、Netflixドラマ『今、私たちの学校は…(2022)』でゾンビと戦っています。(というより、逃げるかも…)
しかもウニの兄を演じたソン・サンヨンも共演していて、一緒に助け合う仲間なんです。
“학생들이 삶과 죽음의 경계에서 하게 될 선택을 보는 게 재미있을 것 같았다”
— Netflix Korea|넷플릭스 코리아 (@NetflixKR) January 26, 2022
제작발표회 속 이재규 감독의 말처럼 학생들과 좀비와의 사투를 실감나게 보여줄 #지금우리학교는 이 곧 옵니다. #AllofUsAreDead #박지후 #윤찬영 #조이현 #로몬 #유인수 #이유미 #임재혁 #넷플릭스 #Netflix pic.twitter.com/RJ7K4ugTR0
また、ヨンジ先生を演じたキム・セビョクは、是枝裕和監督の『ベイビー・ブローカー(2022)』に特別出演していますよ!